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【イラン イスラーム体験編】
ビザ取得に時間をかけすぎ、予定より一ヶ月遅くトルクメニスタン入り。
トルクメニスタンは五日しか滞在できないので毎日限界まで自転車をこいで、
日が沈んだところでテントを張るという鉄人的な走行スケジュールであった。
とは言ってもこの時既に十月、日が短くなっているのでそんなに長時間走れない。
せいぜい120~130kmといったところ。
ちなみにこの旅での一日の最長走行距離は200km。カザフスタンだった。
イランのマシュハドに着いたところで久しぶりにホテルへ。
野宿と違って、夜野犬の遠吠えに怯えなくていいというのは安心感がすごい。
あまりに安心しすぎてホテルにパスポートを置き忘れて出発し、
しかも二日後まで気づかなかった。アホである。
取りに戻るのも大仕事だし、テヘランの大使館に送ってもらおうと思って
途中の小さな町で道端の兄ちゃんに携帯を借りてホテルへ電話。
携帯を貸してくれた兄ちゃんがついでに家に泊めてくれた。
おまけに、当日はなんか記念日だったらしく(テレビでマシュハドが映ってたし、
多分イマーム・レザーに因んだものだと思うがよく分からない)
地元のモスクへ連れてってくれた。「ムスリムじゃないけどいいの?」と
訊くが、「えっ別にいいんじゃね?」と気軽に集会に参加させてもらい、
ケーキとか食べさせてもらった。自分の人生でムスリムの集会に参加する
ことがあるとは想像もしていなかった。
イランといえばアメリカと仲が悪い国で有名である。
悪の枢軸などと不名誉な称号を与えられ、国内はテロリストがうようよいるかの
ようなイメージがあるが、それは全くの誤りで、この国を旅した人々は
口を揃えて「こんないい国はない」という。
国境付近を除けば治安もいい。俺も18日旅して回っただけだが、イランの
人々のホスピタリティには感心した。
家に泊まっていけとかお茶飲んでいけとかしょっちゅう声かけられるし、
これは中央アジアからそうなのだが、日本では考えられないくらい
フレンドリーである。アメリカの経済制裁のためVISAやマスターカードなどの
クレジットカード類が使えない(イラン国内のカード会社のものならOK)と
不便なところもあるが、道路が日本並みにきれいでチャリダーには
うれしい国である。
反面宗教色が非常に強い。
イスラーム教は戒律が厳しい(酒飲んではいけない、豚肉食べない、
音楽もダメ、女性は布で顔を隠す、等等)イメージが強いが、必ずしも
ムスリムが皆それを厳格に守っているわけではない。
中央アジアの人々も基本的に皆ムスリムのはずだが、平気で酒は飲んでいるし
音楽も聴いているし、布なんかかぶってる女性は見当たらない。
豚肉は確かに食べないが、ラマダーンなんか誰かやってんの?という感じである。
しかしイランは一本筋の通ったイスラームの国である。女性は皆しっかり
ヘジャーブをかぶっているし、男性も半ズボンにビーサンの人なんか絶対見ない。
アルコール類の入手は非常に困難(不可能ではないらしい)。何せ冷戦下に
あってアメリカにもソ連にも頼らずイスラーム革命を成し遂げた骨太の国である。
国民全員が一丸となって政権を支え、世界の鬼っ子となっても平気でたくましく
生きていっている・・・と言いたいところだが、実際俺が聞いたところでは、
国民の政府への評判はかなり悪い。テレビにアフマディネジャド大統領が
映っていると「俺、この人大嫌いなんだ。ウソばっかりついて」とか
言っちゃうし、アメリカと仲が悪いことについて聞くと、「政府の
マネジメントが悪いんだ」とアメリカ批判より政府批判が始まる始末。
Facebookもかなり普及しているようだし、個人的には革命(反革命という
べきか?)も有り得るような気がする。先日もテヘランの英大使館乱入事件
なんかがニュースになっていてショックを受けたのだが、俺が一緒に
話してたような一般の人々がやったものとはちょっと信じがたいのである。
さて「国境付近以外は治安がいい」と書いたが、実はテヘランから
タブリーズに向かう途中に自転車を盗まれたことを告白しなくてはいけない。
そう、前回アメリカ旅行で自転車を盗まれ、現地で買ったあの自転車を盗まれた
のである。盗まれすぎである。夜テントで寝ていて朝起きたら自転車と
外に置いていた荷物(雨具、防寒具、リシタンでの授業ノートやおみやげの
一部を含む)がなくなっていた。
人生で初めて、人を殺したいと思った。
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